オートマータ
斜陽の射す、月曜日の午後。
長い巻き毛をリボンで束ねた少女の来店。
いらっしゃいませ、お嬢様。
お久し振りですね。
空気的な微笑で、接客に当るS主人。
嗚呼、そう云えば、先日入荷したばかりのエジプトの香水壜が、こちらに。
これが中々に、素敵でしてね−−。
色とりどりの小さな香水壜を手にし、瞳を輝かせる少女。
主人は、眩しげに眼を細め、少女の様子と、その装いに眼を凝らす。
本日は、また、とても可愛らしいお召し物でいらっしゃいますね。
まるで、そう−−天使の様な。
純白の地に、象牙色の繊細なレェスを贅沢に重ねた、薄いクレープの様なワンピース。
サテンの様な光沢の、灰がかった細い髪は、金色に産毛が光る耳の上に、共布のレェスで結われている。
−−そうですか、お母様と、お揃いで。
とても、よく、お似合いですよ。
俄かに、少女の眸が曇る。
然し視線は棚の上に走らせたまま、また別の小壜を手に取ると、光に透かしては、仔細に眺め−−、
そうかしら? こんな、ドレスみたいな洋服、私はちっとも嬉しくないのに。
私の着られるものは、こんなお人形みたいな洋服ばかり。
いつだって、パパとママの選ぶものしか、着られないんだもの。
おや、それはまた……そうでしたか。
主人はいくぶん、大袈裟に肯いてみせると、
ですが、それでは−−
もしもご自分で選ぶとしたら、お嬢様は、本当はどんなお洋服を着てみたいのですか?
少し困った顔で、少女は主人を見遣り、
そう言われると、よくわからないけれど……。
とにかく、自分の恰好くらい、自分で決めて、好きな様に着てみたい−−それだけだわ。
それに、この恰好は自分とはまるでちぐはぐで、何だか落ち着かなくて……いくら贅沢な物だって、せっかく着ても、ちっともいい気分じゃないのよ。
実際の私は、お人形でも、天使でも、何でもないんだもの。
すっと、硝子を透過した陽が、少女の眼に、冷たい光を反射させる。
両親は、きっと私のこと、着せ替え人形くらいにしか、思っていないんでしょうね。
まさか、そんなことは、ありませんでしょう。
そうかしら? −−いいえ、あり得る話だわ。
だって、ママは自分のこと、自動人形だって、言っているくらいだから。
自動人形、ですか。
そうよ。
ママは、自動人形なんですって。
主人は、少女の云わんとすることを、今一度確かめた。
−−そうしますと、貴女のお父様は、ご結婚の際、お人形をご自分の花嫁になさった、ということなのでしょうか?
いいえ、そうじゃあ、なくて。
パパは、ママのこと、ちゃんと生きた人間だと思っているのよ。
それは−−詰まり、お母様は、お人形なのでしょうか。
それとも、お人形ではないのでしょうか?
さあ−−。そこが、私にも、よく判らないのよ。
只、ママは口癖みたいに決まった言葉ばかり繰り返すし、食卓についても、実際に何か物を食べているところは、見たことがないの。
だから、もしかすると、ママは本当に人形なのかもしれない……そう思って、パパに訊いてみたことは、あったわ。
ええ……、そうしましたら?
パパは、馬鹿なことを、って。
ママはどこから見たって、皆と同じ、普通の人間じゃないか、って。
ママは可愛いお人形が大好きだから、自分も人形の様になりたいばっかりに、そんな振舞いをしているだけなんだよ−−、ですって。
だから、一体どっちの言っていることが本当なのか、私にも、よく判らないのよ。
なるほど、左様ですか。
……けれども、正直なところ、貴女の眼には、お母様は、どの様に映っているのでしょうか。
−−そりゃ、とてもママは、人形なんかには見えないわ。
それくらい、何所も見た目に不自然なところなんて、ないもの。
だけど……普段は服の下に隠れているところに、もしかしたら、球体関節があるのかもしれない。
なるほど。高価な代物ですと、関節なんて、見ても判らないくらい、精巧に出来ていると聞きますしね。
瞬きだって、それは自然なものだそうで。
ええ−−、そう考えると、やっぱりどっちが真実かなんて、判りやしないわ。
人間だと思えば、そう見えるし、人形だと思えば、やっぱりそう見えてしまうのよ。
−−阿、と少女は小さな声をあげた。
この壜、うっすら、残り香がするみたい、いくつか混ざって−−。
エジプトの街って、どんな土地なのかしら……。
鼻先から小壜を離すと、西日に翳し、片眼で壜の底を覗き込む。
そうしてまた、別の色の壜を手に取っては−−、
でもね、よく考えてみれば、それで別段、どう困るという訳でもないのよ。
只、時々−−ゼンマイの切れたオルゴールみたいに、急に動かなくなってしまうことがあってね−−ええ、そう。
それだけが、ママと一緒に居て、外へ出掛ける時なんかには、一番の厄介事なのだわ。
I.
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