中 毒







 風邪をひいたわけでも、怖い目に遭ったわけでも、まして笑いを堪え ているのでもないのに、 只、中毒患者のように、躰は力無く震える のでした。
 時々、こんな自分が、まるで本当の廃人の様に思われて、ひど く気が滅入ります。 知らぬ間に、何か如何わしい魔法の粉や液体にでも冒さ れていはしまいかと、心当たりもないのに、疑念が湧いて涸れない のでした。
 症状が昂じれば、嘔吐を催し、苦しいやら、情けないやら……涙が 滲んで、自己嫌悪にまた嘔吐を繰り返す。 いっそもう、こんな身体、棄ててしまえたなら楽なのに。
 嗚呼、けれども−−これはあの人 と同じ病を持つ躰。
 そう思うことで、せめて救われる。 そんな時、 唇の端が自嘲に歪むのを、決まって鏡の自分が見ているのでした。

 控えめなものではありましたが、それでもあの人は、私に親しみと信頼を寄せてくれたのです。 けれども、それはあの人に取入ろうと作為 した、虚像の私なのでした。 慕われたのは、偽者の私だったのです。
 あの 人の希望に適うだろう役を演じながら、何時しかそれを見破られ、今に も自分の詰まらない実像に勘付かれはしまいかと、平静を装った皮 膚の下で、ちくちくと針の様な不安が、絶えず額や胸の辺りを刺すのでした。
 何 の虚飾もない、素地のままの人間を、一体誰が好んで慕うでしょう。 それとも、あの人は、もう私の欺瞞に、とっくに勘付いているでし ょうか?  嗚呼、だとしたら、私はきっと、気が狂れてしまうに 違いない。
 何もかもすっかり知りながら、黙って傍に座って居る あの人の心は、一体、どんなに果てなく遠い場所に在ることでしょう。 たとい知らずにいるにしろ、やはりその距離の遼遠なことに変 わりはなく−−、それを思うと、眼の前のあの人が、まるで見知らぬ他 人のように思われて、すっかり空恐ろしくなってしまうのでした。
 嗚呼、人の心は深淵のように得体の知れない、恐ろしいものだ。
 しかしだからこそ、私はあの人に眼を留めたのです。 根幹で他人を恐れている自分が、こんな過分な感情を持ったのは、あの 人が、どこか旧い友人と似ていた所為もあったでしょうか…… けれども、本 当はやはり、あの人の身体が、完全な生命ではないという事実−−それが 最たる理由だったのです。

 まあ、よく出来たお人形ですこと。
 ええ、まるで本物の人間のよう。
 二度目の 蘇生以来、言葉と表情を失くしたあの人を見て、申し合わせ たように人々は言うのでした。 けれど、他の誰に判らなくとも、私には、はっきりと、あの人の微かな表情の変化が診てとれるのです。 窓越しに差し込む光の 加減で、不思議に翳ったり透き徹ったりする、どこか哀しい色をし た、仕掛け絵のような双眸。
 けれども、硬質なその光沢の表面に、あの人が私を映して下さることは、きっともう、ないのです。 そ れも当然でした。私には、そんな資格もないのです。 あの人の意志を 冷酷に蹂躙して得た、それが私の報酬と代価なのでした。
 嗚呼、けれども−−、私は寧ろ、生涯、あの人から無言の蔑みを受けていたいとさえ思うのです。 そうでもなければ、 このまま、本当に私は、きっと駄目になってしまうことでしょう。
 たとえばそう、 世界から切り離され、力尽きて、サキュバスの灰色の胃に呑込まれ てしまう、薄弱な獏の様に。

 指先の震えは止まらず、込み上げる不快感に、冷たい汗が顳かみ を伝います。
 薬を噛まなくては。
 転がった瓶に、まだ少し、残って います。


G.