ドッペルゲンゲル考
花火を観に、夏祭りへ出掛けた夜のことでした。
宵の口、薄ぼんやりと灯る夜店の提灯と人出で賑わう通りを抜けると、丁度頃合良く始まった花火が、河川敷の堤防から上がるのが見えました。
太鼓に似た音を響かせて、眼の前の虚空に、ぱっと拡がっては散ってゆく色彩。
三、四、五発−−と連続する音。
折り重なって繰り出される、毒々しいほど華美な球形透視図。
煌めきながら夜空に消えてゆく幾筋もの閃光が眼に降り注ぎ、それは思いがけず胸の琴線を掠めました。
ふと、自分が広大な宇宙の藻屑にでもなってしまったかの様な、どこか心許ない、感傷に似たノスタルジーが喚起されたのでした。
放射状の光の筋の中央に捉えられ、超光速で膨張していく宇宙の直中に置き去られる−−
そんな幻視<ヴィジョン>に、胸は途方もない寂寥感と眩暈に侵食されるのでした。
嗚呼、肉体が朽ちてしまったら、私のちっぽけな魂は、こんなふうに永遠に宇宙に浮遊するか、光も何も届かない、遥かな彼方へ吸い込まれてゆくかするのでしょう……。
そんな感傷に浸っている間に、しかし思いのほかあっさりと花火の催しは終演してしまいました。
気付けばすっかり暮れた空の端に十三夜の月が浮かび、抜けて来た通りの方角からは、幽かに懐古的なお囃子の音が響いてきます。
束の間の幻想から覚め、踵を返した、その時でした。
帰路につく人々の往来の中に、ふと、よく見知った人の横顔を見たのです。
けれども、妙でした。彼−−その人物は、まさかそんな所に居よう筈のない人なのでした。
吸い寄せられるように、私の眼は彼の姿を追いました。
しかしその姿はじき雑踏に呑み込まれ、後はいくら眼を凝らしても、面影はもう何処にも見当らないのでした。
私は暫く、呆然とその場に佇んでいたように思います。
けれども、その内はたと閃き、思い当りました。
あれはきっと、コピー・ロボットに違いないと。
店の片隅にひっそりと鎮座するのは、旧式カメラに似た、箱型の複製装置。
それは電子工学の知識、技術を駆使して苦心の末に完成させた、私の発明品なのでした。
そう、あの祭りの夜に見掛けたのは、この箱から出て来た、彼の複製ではなかったでしょうか?
微調整にはちょっとしたコツが要るものの、操作は割合に簡単で、少しばかり機械に慣れた人間であれば、難無く扱える仕様なのです。
先ずは正面のレンズから対象の立体像を取り込み、次に対象のデータと生成する個数量を入力し、開始ボタンを押す。
そうしますと、およそ十時間後には、何体でも入力した個数分のコピーが出来上がっているのです。
一個の対象から複数体を生成するのは、ホログラフィの原理応用によるもので、
ホログラフのフィルムというのは、何分割しても、各々のフィルム片から全て元の全体像が復元出来るのです。
そうして出来上がったコピーは、入力したデータの分量だけ対象と近似し、同様に会話もこなします。
また体細胞から生成する通常のクローンとは異なり、マテリアルがケミカルのコピーであれば、前世紀から物議を醸している倫理的問題もごく僅か。
そうして不要になれば処分してしまえるのですから、再生利用も可能なこの発明は、我ながら傑作と自負しています。
但し、コピーの逃亡、独立、それから第三者による不正な複製行為には、大いに注意が必要です。
怠れば何れ面倒が起こり、収拾不能な事態に陥ることでしょう。
幽界との境界が揺らぐ、夏の夜。
縁日で擦れ違う懐かしい面影は、きっと帰って来た彼の人の御霊。
けれども、眼にしたのがもしも自分と瓜二つの人間なら、それは世に言うドッペルゲンゲル。
「何れ冥土の近い徴でしょう」
「矢張り、そうでしょうか」
いいえ、其れはやっぱり、唯物式のコピー・ロボットに違いないのです。
F.
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