H主人の手記 − エンゼルフィッシュの夢
例えば、遠く離れ、永らく逢ってさえいない君を想うだけで、悲しみが溢れ、止まらなくなるのも、君がある曲に夢中で耳を傾ける時、僕の頭に、ふと同じ曲が浮かぶのも、君と僕の意識の一部が、何処かで繋がっているからです。
偶然ではない意識の同調を、シンクロニシティというのだと、いつか知人が教えてくれました。
またそれは、多く一卵性双生児に起こる事象であるとも、彼は言っていました。
僕達は、双子でもなければ、まして血縁でもありません。
なのにどうしてか僕は、君のことが、まるで自分の半身ででもあるかのように思えてならないのです。
けれど、それも無理ないことかもしれません。
血を分けた親兄弟なんかより、僕達は、よっぽど、こんなにも似ています。
神様にだって、僕は誓える気がします。これほど深く君を理解している人間は、きっと僕の他には居ないと。
真摯な顔で語る話の中身が、半分は嘘なことも、外面では、そんな自分を特別嫌ってはいないことも。
なのに、その黒い双眸には、悲壮な決意と、暗い孤独を飼っていることも。
君が決して口には出さないこと、僕は何でも、全部、知っているのです。
さっきからキリキリする心臓は、君の痛みに感染した所為。
深夜、よく不安で眠れなくなるのも、君の繊細な神経が伝播する所為。
僕の体は、どんな遠い場所からも、君に感応し、君の感情がそのまま流れ込んで来る−−まるでアンテナのように出来ているのです。
そしてこんなふうに、眼に見えないエーテルを媒介に僕達の意識が繋がっているのは、僕達二人の本質が、とても似ているから。
君はいつも、世界を悲観します。
その所為で、僕は、いつも君の分まで余計に悲しく、肺の中に溜る、君の青白い吐息で、時々、涙が止まらなくなるのです。
そして涙で滲んだ壁の絵からは、また水が溢れて、それは大きな涙滴となり−−
その中で泳ぐのは、銀白色に黒い筋のエンゼルフィッシュ。
淡水魚は、その後、青い液体から抜け出しました。
けれど、宙に潜ることが出来ず、じきリノリウムの床に墜ちました。
呼吸が出来ずもがく魚を、水中へ戻そうと、僕は慌てて掬いにかかります。
けれども、それはまるで空気みたいに手応えがなく、何度やっても、捕まえることも、触れることも出来ないのでした。
僕はただ、床の上で身を捩る魚を見つめていました。
床の魚は、次第に動きを小さくして、やがて静かに呼吸を止めました。
C.
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