S主人の独白 −「鬼と桜」







 桜の頃となると、決まって雨足が近くなり、満開を待つまでもなく、花弁は雨に打たれ、惨めに地面に朽ちゆくのでした。 私の故郷での春の記憶は、思い起こせば、そんな陰鬱な景色ばかりです。
 そして花の盛りも過ぎる頃になると、漸く春らしい陽気が照るのですが、麗らかな陽射しの中、雨土に汚された、無数の花弁 の屍体が張り付く、灰がかった淡色の地面を見るのは、またこの上もなく、憂鬱なものでした。
 よしんば花咲いたとしても、その背景には常に曇天が広がり、その為か否か、花の色艶も薄く、どう仰いでも、冴えた眺めとは言えないのでした。
 故郷の桜には、あの、桜に特有の、妖艶な美しさがありませんでした。

 桜の樹は、土地の穢れた空気を吸い、それを養分に花を咲かせるのだと伝え聞きます。 ですから桜の美しく咲く地は、それだけ瘴気<しょうき>が濃いのです。
 この店の通りの先、十字路の角のSヶ沼公園の桜は、今年も妖艶に咲き乱れていますね。
 此の世のものとも思えぬほど幽玄なあの情景は、現実の次元の壁を撓ませます。 花は刻々風に散るのに、薄紅に埋もれた空間では、時間さえ停まるかの錯覚に囚われるのです。

 −−桜の樹の下には屍体が埋まっている!−−。
 梶井基次郎の、この名文は、あながち突飛な空想とばかりも言えないかもしれません。 屍体−−とまでいかなくとも、何かそれに近い、怪奇で醜悪な……そう、例えば鬼の躯の一部。そんなものが埋まっていても、不思議ではない気がするのです。
 御伽草子に描かれるような、牙を剥いた恐ろしい鬼の正体には、諸説ありますけれど、喩えば、人の心に巣くう負のエレメント。 土地の気の穢れ、鬼の瘴気というのは、そんなふうなものではないでしょうか……、そんな気がするのです。

 あの憂鬱な春の訪れる故郷を捨ててから、どれだけの歳月が流れたでしょう。
 麗らかに晴れた春の日、私は一つの大きな穢れを遺し、己の罪に怯え戦きながら、彼の地から逃げたのでした。
 今頃、そこには大輪の桜が、狂ったように咲き乱れているかもしれません。

 あなたと出逢ったのは、それからずっと後のことでした。
 だけどあの頃のように、あなたはもう、その脚で私と桜の下を歩いては下さらない。
 けれども、只こうして傍に居られる。それだけで、この一瞬が、私には奇跡のように、切なく、愛しく思えるのです。
  私はあなたの座る椅子を押して、今年もまた、桜並木の下を歩きましょう。

 嗚呼、けれど。
 こうして桜を眺める度、一つ、また一つ、私ばかりが歳を重ねる。 そうして、やがていつかは、あなたを置いてゆくのです。
 季節が巡る度、焦燥は募り、桜の樹の下、錆びた鬼の爪が胸を掻き乱します。
 あと幾度、私はあなたの隣で桜を仰げることでしょう。


A.