† 天 使


【1】キリスト教などで、天の使いとして神と人間を仲介し、
   翼を有したヒトの形態をとるもの。
【2】一般に、無垢の人に対して用いられる形容。





† 『エキス』 に於ける「天使」像


【2】は比喩として、
何らかの恩恵を蒙る側が相手へ世辞的に用いる例もあるが、
概して無垢の人や利他的な人物に対する賛辞の意味で、
「神様」に類する表現として用いられる。

「無垢」
【1】(仏)欲望や執着などの煩悩がなく、清浄であること。
【2】心身に汚れがなく、無知であること。
【3】混じりけがなく、純粋であること。

「利他」
【1】自身を犠牲にしても他人の利益を図ること。
【2】〔仏〕自己の善行の功徳によって他者を救済すること。
−−『三省堂』によれば概ね上記の様になっている。

これらの事から、「天使」と形容される存在の核は、
「自我」の枠を超越して悟りに至った仏陀と同様、
「聖人」または「聖人的」な、
「無我」の状態に近いものと考えられる。

仏教では、この「無我」の状態を「空」と言う。
(「空」とは、眼に見える物質、
及び知覚可能な事象の全て−即ち「色」−は、
相対的に起こる仮の相であり、無常であり、
実体のないものとする概念である。)

或いは、
「聖人」の中には元々「自我」という機能を持たなかったか、
発達の過程でバグを生じたケースがあるのかもしれない。
「無」から「有」の物質界へ転換する際、
「空」=「無我」の状態を保ったが為に、
「自我(同一性)」を欠落、もしくは損壊して生まれたケース、
言わば精神的畸形とでも形容すべき例が、案外多くあるのかも
しれない(精神は脳の働きに付随して生じるものとする)。

「自我」の欠如は、「自我」に囚われている人々にとって、
しばしば白痴的、もしくは狂人的に映る。

そして「空」はまた即ち「色」でもある。
「自我」を持たない自己は、他者の「自我」を取り込み、
自らの「空」に反映する。
だから「聖人」は、結果的に人々の持つ「無意識的願望」、
或いは「自我そのもの」を具現化する者として形成される。

例えば、それが「病んだ天使」の場合でも。








以上の能書き、及び『エキス』に於ける一切の著述は、
筆者の主観的観念に留まるものであり、
何らの他意を含むものではありません。